弔事で三重県の地元に帰ったら、マスク王国が再臨していた。
マスクしなくてもどうこう注意されるわけではないのに、
ショッピングセンターも飲食店もマスク・マスク・マスクの人で、
入口では、消毒と体温計測の掟が復活していた。
母親からは「このへんは田舎やからマスクせなあかんのやに」
と小言を言われた。
山陽新幹線・東海道新幹線・近鉄特急と乗り継いだけど、
車内でマスクをしている人はほとんどいなかった。
なのに、駅を降りると別の掟が存在するという……。
大正生まれの祖母の寿命がとうとう尽きたのだけど、
遺言が、「NO葬儀、NO埋葬」とのことだったので、
家族だけで棺に花を納めるお別れ会をして、
火葬後は小さな2寸の骨壺におさめておしまい。
後日、粉骨して、お墓とは違う形で供養する予定。
認知症になってからは、ずっとにこにこして、
周囲の人に毎日「ありがとう、おおきに」と言っていたけど、
元気な時は、数々の強烈すぎる伝説を残したばあちゃんだったので、
思い出話になると、何度もふきだして笑ってしまった。
新幹線の中で、渡辺京二の『逝きし世の面影』を読みはじめた。
幕末に日本を訪れた異邦人たちによる手記を分析し、
当時の日本人がどんな様子だったのかを知り、
同時に、現代の日本人がひとつの文明と言えるほどのものを
失ってしまったのだということを考える内容。
今と比較すれば、日本人はもっともっとおおらかで、
笑いと遊びがそこかしこにあり、子どもにとっては楽園だった
わけで、
当時の異邦人たちが書き残した日本人観察録を読むと、
「未開の地の人たちみたい」と感じたり、
「それは異邦人のあなたをバカにして笑ってただけでは…」
とツッコミたくなったり、
いろんな感覚が自分のなかで右往左往するけれど、
同時に、
「こう感じる私の感覚自体が、すっかり西洋文明に染まって
いる目線なのかもしれないな…」
といった具合に、自分の感性の前提となっている感覚を
ぐりぐり揺り動かされるところがあって、面白い本だ。
まだ途中までしか読めていないけど、時間がかっても最後まで
読み切ると思う。
ジャニーズ・キャンセル事件は、
変貌してしまった日本になってから、
さらにますます「日本人らしからぬ人」ばかりになってしまい、
馬鹿と偽善に乗せられて、どこまでも悪く変質していく姿を
見せつけられているようなところがある。
流されないよう帯を締め直しておかなきゃいけない。
ゴムのスカート、はいてるけど。